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【戸嶋秀夫さん告別式】
1日の朝は、新座へ向かいました。
元日本代表、東芝府中のWTBで活躍した日本ラグビー界の英雄、戸嶋秀夫さんの告別式出席のためです。
戸嶋さんは6月28日、59歳という若さで亡くなりました。
 
概ね、45歳以上のラグビーファンなら覚えているでしょう。
1984年度、V7新日鉄釜石に挑んだ社会人大会準決勝、ハイパントを追って釜石のFB谷藤選手、CTB金野選手の2人を一撃で倒す爆弾タックルを炸裂させ、東芝CTB石川選手のトライにつなげました(この場面はナンバービデオ「大逆転」に収録、ノーサイドクラブの釜石ナイトでも、釜石の選手がやられている場面だというのに毎回盛り上がります)。
 
そして1987年度、東芝府中の社会人大会初優勝は、いったん引退してコーチになっていた戸嶋さんがシーズン終盤に現役復帰。社会人大会1回戦で神戸製鋼との対決となり、死闘の末に5点を追う終了直前、戸嶋さんが左サイドを爆走、そのまま左隅にトライしたのでは追いつかないため(当時トライは4点でした)、「右側の視界の隅に青いジャージーの影が見えたので」と、ロングパス。それがFL田中選手のトライにつながり、16−15の逆転勝ち。そのまま勢いに乗って、東芝府中は初の社会人チャンピオンに輝いたのです。
 
その後、戸嶋さんは東芝府中の監督を務めた後に東芝を退社。
僕が久しぶりにインタビューしたのは1996年2月、Numberに掲載した
「必殺のタックルが日本を救う」
という記事の取材でした。
 
そのとき本人の口から確認したのが、
「タックルで杉の大木(たいぼく)を倒した」という戸嶋さんの伝説です。
 
戸嶋さんは、自分のタックルを作り上げるために、秋田の実家の近くにある杉の木を相手にしてタックルを練習したそうです。
「ダミーに当たって自分で満足できないものがあったんです。剣士が本物の刀で稽古するように真剣にやらないと、外人とやるときにはちゃんと入れない」
「内出血で肩が紫色になるんですけど、2日もすれば収まりますから。3日に一度くらいのペースでやっていました」
そのタックル修行から数年後、北東北を「リンゴ台風」と呼ばれた大きな台風が襲いました。帰省した戸嶋さんは、自分のタックル台になっていた木が倒れていたのを見つけました。同じように生えている周りの木は無事だったそうです。
やっぱり、戸嶋さんのタックルが杉の木を倒したのですね。
 
この記事は、1997年に編んだ作品集
「楕円球に憑かれた男たち」(洋泉社 1600円+税)に
「タックル・タックル・タックル」と改題して収録したのですが、
きょう、告別式の会場にも、Numberの記事ともども、拡大コピーで展示してありました。少し照れくさかったけど、戸嶋さん、そしてご家族の皆さんにも喜んでいただけたんだな、いい記事を書けて良かったな、と思えました。
 
 
告別式には、東芝時代のチームメートや先輩後輩、日本代表の先輩後輩、たくさんの方々が、通夜にも告別式にも駆けつけ、別れを惜しみました。
 
祭壇には、戸嶋さんが命がけで愛した、日本代表と東芝のジャージーと、ボールが飾られました。戸嶋さんが表紙を飾ったラグビーマガジンが飾られ、ロビーにはナンバーなどたくさんの雑誌の表紙や記事のコピーが飾られ、戸嶋さんの活躍する勇姿がビデオで上映されていました。

 
東芝の後輩の皆さんからは
「ホントに、戸嶋さんの伝説はいっぱい語り継がれていますからね……」
という言葉を聞きました。
梶原宏之さんは、東芝に入社すると、職場の(ラグビー部ではない)上司たちから「戸嶋はすごい練習をしてたぞ…」と聞かされ「俺はそれ以上の練習をしてやる」と決意したそうです。梶原さんより1年遅れで入社した村田亙さんは、その梶原さんの練習ぶりを見て弟子入りし、一緒に練習し、ついにはフランスまで行って日本人プロラグビー選手第1号になり、37歳という日本代表最年長記録を作りました。その後輩の松田努さんは村田亙さんに世話を焼かれながら41歳のトップリーグ最年長出場&トライ記録を作り、その後輩の大野均選手はとうとう日本代表の最多キャップ記録を更新しました……。
 
そう考えると、戸嶋さんは生きているんだな、と思えてきます。
 
戸嶋さん、たくさんの、凡人常人には考えもつかない偉業、修行、人間業とは思えない、不可能を可能にしてきたチャレンジの数々を見せていただき、本当にありがとうございました。
 
謹んで、ご冥福を祈ります。
 
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  • プロフィール

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    大友信彦
    (おおとものぶひこ)

    1962年
    宮城県気仙沼市生まれ


    早稲田大学第二文学部卒業。
    1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』で活動。
    '87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。

    ラグビー専門ウェブマガジンRugbyJapan365スーパーバイザー。

    『再起へのタックル』(洋泉社)
    『ザ・ワールドラグビー』(新潮社)
    『奇跡のラグビーマン 村田亙』(双葉社)
    『釜石ラグビーの挑戦』(水曜社)

    など著書多数。

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