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    【釜石SW&神戸製鋼 被災地支援合同イベント】

    盛りだくさんの2日間でした。

    2日早朝に花巻を発ち、神戸製鋼と釜石シーウェイブスの合同被災地支援活動取材のため釜石へ。

     

    最初の活動は、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた釜石市鵜住居地区の根浜海岸での汚泥除去、木材除去などの作業。参加したのは選手とスタッフあわせて釜石40人、神戸40人、合計80人プラス民間ボランティアグループあわせて約100人

     

    最初にボランティアリーダーの吉崎さんから「ここは、津波をかぶったままの場所です。可能性としては低いけれど、ご遺体がまだ埋まっているかもしれない、そういう場所で作業されるということをご理解ください」という言葉があり、両チームの選手に、厳粛な空気が流れました。

    そして、作業を開始。

     

    しかし、作業が始まると、早い早い。

    津波で折れたり、斜面に折り重なった樹木、山積みの土砂の撤去、側溝を埋め尽くした汚泥の除去、両チームの外国人選手/コーチや神戸の女性スタッフも一緒になってスコップをふるいました。一般人なら数人がかりでないと運べなさそうな大きな丸太を、軽々と抱え上げていきます。



    「さすがラガーマン、普通なら3日か4日かかる作業を、たった3時間で終わらせてしまいましたね」と吉崎さん。

    見ていて感心したのは、選手たちのコミュニケーション能力です。

    リーダーの指揮のもとで作業をするのは当然なのですが、危険を避けるため、注意を促すためのコーリング、予測を含めたコミュニケーションは非常に素早く、効率的。試合中も声をかけあい、困っている仲間を助け、あるいは自分の仕事を見つける。そんなラグビーというゲームの構造が、こんなところで役に立つんだな、と感心しました。

     

    中でも目立っていたのは、やはり! 伊藤剛臣さんです。


    昨季まで神戸、今季から釜石に移籍したとあって、両方の選手をよく知っている。

    選手の名前をじかに呼んで注意を促し、作業を効率化させる。

    そもそも、着ていたチームウェアが神戸製鋼時代のものなんです!


     

    (土砂の下からは、こんな品々も掘り出されました。どこから流れ着いたのか。持ち主がご無事だといいのですが)

     


    (両チームの皆さんお疲れ様でした!)

    午後は、『ラグビーマガジン』8月号(6月25日発売)に掲載するインタビュー記事用に伊藤剛臣選手の撮影、それから松倉グラウンドへ移動して。釜石&神戸の合同練習。夜は、釜石駅前『シープラザ遊』にて、ファンとの交流会。

    平尾誠二さん、桜庭吉彦さん、釜石市の嶋田副市長、「RWCを語る会」の佐々木代表によるトークショーでは、「2019年ワールドカップをぜひ釜石で!」と、盛り上がりました!


    (左から平尾さん,桜庭さん,嶋田さん,佐々木さん.画面が煙たく見えるのは,入り口付近でホタテBBQしていた影響です……)

     

    「ラグビーのワールドカップを日本で開くこと自体、夢みたいな話です。それが叶ったのは嬉しいけれど、リスクは高い……でも、そればかり考えていると楽しくなくなる。夢を持っていかないと。

    ワールドカップを釜石で開くという夢があれば、これからの7年間、楽しみを持ち続けていけるでしょ?

    その価値、意義をIRBやRWCLの人に訴えて、それが認められれば、釜石でワールドカップを開くのは不可能じゃないと思います」

    釜石に来たのは大学4年生のとき、日本代表強化合宿が釜石で、新日鐵釜石と合同で行われたとき以来、という平尾さんも、RWC2019釜石開催をものすごくプッシュしてくれました。

    (松倉グラウンドでは「ここから見える景色は変わらないねえ」と懐かしそうに目を細めていました)

     

    そして3日は、朝から釜石・神戸合同のラグビークリニック。

    1年で一番気持ちのいい日じゃないか、と思うほどの快晴、適度な風、カラッとした陽気のもと、岩手県内各地から集まった約100人のラグビー少年少女が、SW&コベルコの両鉄人たちと一緒に楽しくボールを追う。

     


    この場所に、1年ちょっと前には救急搬送用のヘリが停まっていたことを思い出して、夢のようで、何だか涙が出そうになりました。

     (本当に、日本で一番景色の美しいラグビー場と呼んでいいかもしれません。それだけでもワールドカップを開く価値はある!)

     

    ちょうどクリニックの最中に、特別列車「SL銀河号」(だったかな?)がもうもうと黒煙を噴き上げ、汽笛を鳴らして松倉を通過。天気だけでなく、SLまでこのイベントを祝福してくれたようで、一斉に拍手が。みんな、プレーを中断して機関車を見送っていたのが、何だかおかしかったな。

     

     

    神戸の竹之下部長、平尾GM、苑田HC、橋本キャプテン、藤マネージャー、誰もが口を揃えたのは

    「阪神大震災のときは日本中の方々に助けていただいて、そのおかげで今の僕たちがある」

    という恩返しの精神。

    「支援を長く続けていきたい」

    という継続への強い意志。

    そして

    「この機会を与えていただけて本当に嬉しいです」

    という深い感謝の気持ちでした。

     

    震災から1年が過ぎたのを契機に、被災地関連のニュースは激減した印象があります(あくまでも感覚ですが)。

    神戸の選手たちからは「今でもこんなにひどいままなんですね」という言葉を何度も聞きました。

    自分たちも震災を経験した神戸製鋼のみなさんが、震災の記憶を風化させないよう、この時期に釜石を訪れてくれたことには、深い意義を感じました。



    両チームの選手たちと,クリニックに参加した子どもたち,集合!
     

    僕も取材していて、本当に幸福を感じる2日間でした。

    「震災は悲しい出来事だったけれど、それで知り合った人、繋がった縁もある。それはいいことじゃない?」と言ったのは、故郷のクライストチャーチに帰省していたとき、大地震に遭遇したアンガス・マコーミックでした。

     

    鉄、V7、赤いジャージー。たくさんのキーワードを共有してきた釜石と神戸が、震災復興という新しい絆で、ガッチリと繋がりました。

    その現場に立ち会えたことを、幸せに思います。

     

    みなさんも、釜石や気仙沼だけでなく、宮古や大船渡や陸前高田、南三陸や石巻や亘理、そして福島、茨城まで広がる被災地に、どうぞ末永く関心を持ち続けてください。そして手の届く範囲での、息の長いご支援を、よろしくお願いします!

     

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    釜石vs神戸のV7時代のヒーローによるドリームマッチが実現!9/23(土)トップイーストの釜石SW対横河武蔵野の前座で実施。松尾vs平尾対決も見られる! | ツール・ド・ラグビー 大友信彦ブログまた、平尾さんからはコメントが届きました。「神戸製鋼が新日鐵釜石
    • ココロミ
    • 2012/07/08 3:49 PM

    プロフィール

    20110608-otomo.jpg

    大友信彦
    (おおとものぶひこ)

    1962年
    宮城県気仙沼市生まれ


    早稲田大学第二文学部卒業。
    1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』で活動。
    '87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。

    ラグビー専門ウェブマガジンRugbyJapan365スーパーバイザー。

    『再起へのタックル』(洋泉社)
    『ザ・ワールドラグビー』(新潮社)
    『奇跡のラグビーマン 村田亙』(双葉社)
    『釜石ラグビーの挑戦』(水曜社)

    など著書多数。

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