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冨岡鉄平@広島

【冨岡鉄平】

今日は広島です。

今春、東芝を引退して、中国電力ラグビー部の監督に就任した冨岡鉄平さんのインタビュー(5月25日発売のラグビーマガジン7月号に掲載)にやってきました。

中国電力は、トップリーグの下部に位置する「トップキュウシュウ」に所属。広島県は、ことラグビーの世界では「九州」に含まれるのです。


(中国電力の冨岡鉄平監督(左)と庄島啓倫主将です)

主将在任5年間で、トップリーグ制覇が3回、旧マイクロソフトカップ制覇が2回、プレーオフ制覇が1回、日本選手権制覇が3回。獲得した「日本一」のタイトルは9冠に達します。

東芝のキャプテンとしてトップリーグに黄金時代を築いた冨岡さんですが、主将に就いたのは2002年度、25歳のシーズンでした。福岡工大では大学選手権出場すら一度も経験がなく、東芝でも前年までレギュラーとは呼べない「一軍半」の無名選手でした。福岡の中村三陽高から福岡工大を経て東芝へ。高校時代は、弱小チームでさえエースじゃなかったといいます。

就任したばかりの薫田監督が断行した大胆な人事に「ちょっと無理だろ」と思った僕の目が節穴だったことは、その後の東芝のすばらしい成績、それ以上に冨岡キャプテンが発信したラグビーの素晴らしさを語る言葉の数々が証明してくれました。ラグビー選手の「格」は、出身大学で決まるものではない……そんな当たり前のことだけれど、本当に気づかせてくれたのは冨岡さんです。記者にとって、恩人ともいえる存在でした。

指導者としての前途に期待します。

詳しくは5月25日発売のラグマガで。

※冨岡さんについての記事アーカイブ。2006年のNumber Webです

http://number.bunshun.jp/articles/-/11144

 

【震災2ヶ月】

3・11からちょうど2ヶ月。

もう、なのか、まだ、なのか、わかりません。時間の感覚を失っている気がします。

被災地と離れて暮らしている僕でこうなのだから、現地の皆さんはどう感じているのか……。

あの頃は、まだ冬の気配が残っていました。

今は桜も散り、新緑が萌え、季節は行ったり来たりを繰り返しながら、少しずつ夏へと向かっています。

地震の後、郷里を離れ、新しい生活を作り始めた先輩もいます。

家族や親戚を東京で、仙台で、引き取った友人もいれば、いまだ安否の分からない友人もいます。

区切りをつけることなんてできないけれど、全部と向き合って、前に進むしかない。

午後2時46分は、広島駅の構内にいました。北へ向かって手を合わせた、つもりでしたが、外に出てみたら、逆だったことが分かりました。マヌケでした……。

5月15日、盛岡南球技場で、釜石シーウェイブスが震災後の初戦を戦います。

キックオフは13時05分。相手は関東学院大。ピッチに現れる彼らを見たとき、どんな気持ちになるんだろう?どんな言葉も浮かんでこないかも。ただただ、拍手で迎えたいです。

試合前には松尾雄治さん、石山次郎さんら釜石V7時代の英雄たちと、林敏之さん、本城和彦さんら、日本代表で活躍したヒーローたちが前座で登場します!

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    プロフィール

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    大友信彦
    (おおとものぶひこ)

    1962年
    宮城県気仙沼市生まれ


    早稲田大学第二文学部卒業。
    1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』で活動。
    '87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。

    ラグビー専門ウェブマガジンRugbyJapan365スーパーバイザー。

    『再起へのタックル』(洋泉社)
    『ザ・ワールドラグビー』(新潮社)
    『奇跡のラグビーマン 村田亙』(双葉社)
    『釜石ラグビーの挑戦』(水曜社)

    など著書多数。

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