スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
【気仙沼を元気にする会】
気仙沼出身者やつながりのある方が中心となって、「気仙沼を元気にする会」というイベントが企画されました。
日時は10月22日(土) 11時〜14時
「銀座ライオン」恵比寿ガーデンプレイス店にて開催されます。
会費は男性5000円、女性4000円
「気仙沼を元気にする会」HPはこちら
案内状はこちらから(PDF)
http://genki.ksn-b.com/wordpress/wp-content/uploads/genki20110914.pdf
気仙沼高校関東同窓会(旧鼎が浦高校同窓会と合併)、気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会、
Re:us気仙沼、一般社団法人復興支援機構など、気仙沼に縁のある数多くの団体が参加されています。
僕自身は、残念ながらラグビーワールドカップ取材でNZを再訪しているときなので(決勝の前日なんです)参加できないのがとても残念なのですが、気仙沼を元気にするために、ご参集いただければ嬉しいです。
次の機会には僕も駆けつけます!
なお、会場の都合上、定員は250名、申し込み締切は10月10日、ただし定員に達し次第締め切るとのことです。参加申し込みはどうぞお早めに。
【大西一平さん、気仙沼へ】
昨日29日から、大西一平さんが気仙沼を訪問しています。
神戸製鋼V7時代のキャプテンだった大西さんは、今年3月の震災後、「OVAL HEART JAPAN」というプロジェクトを立ち上げて、ラグビー界の被災地支援の動きを結集する活動に腐心してきました。
4月の日本協会のチャリティイベント、5月のスクラム釜石立ち上げ/「がんばろう東北ラグビー復興支援の夕べ」でも、連携しながら表に出ない形で貢献策を考え、行動してくださっています。
現役時代は個性的な言動で、メディア的には目立つタイプの選手でしたが、周りを見渡す視野の広さ、情報収集力といちはやく行動に移す力は断然なプレーヤーでした(それは往々にして荒っぽい方向に出たりしたものですが…三ツ沢事件は知る人ぞ知る有名な出来事ですね…)
今回の気仙沼訪問は、10月下旬から気仙沼に設置する「屋台村」の企画打ち合わせと、ラグビー指導を兼ねてのもの。昨日から、関係者との打ち合わせ、被災地の視察に加え、気仙沼向洋高校ラグビー部の指導、鹿折少年ラグビースクールのジュニア(中学生)指導など。卒業式の「涙の答辞」で有名になった鹿折少年ラグビースクール卒業生、梶原裕太くんの母校、階上中学校も訪問したそうです。
なお、屋台村計画には、「金ちゃん」こと元東芝府中ラグビー部で日本選抜、日本B代表などで活躍した石川敏さんも参画しています。
みんなのチカラを結集して、被災地を応援していきましょう!
【一時帰国】
早朝、サマータイムでまだ真っ暗なオークランド・デボンポートを出発。
日本の1次リーグ試合終了に併せて一時帰国しました。
オークランド空港では、日本代表の選手やスタッフたち、報道関係者やサポーターの姿も。
「帰りの便は変更可能なチケットで来たんですけど」と苦笑するサポーターもいました。
みんな、無念の思いで飛行機に乗り込んだ、という感じでした。
東京に戻り、タクシーに乗り、運転手さんと話すと
「最初は良い試合をしたみたいですね」
「ラグビーって、面白いですね、外国人選手でも日本の代表になれるんですね」
「何年か先に、日本で世界大会があるらしいですね」
口調では、決してラグビーに詳しいわけではなさそうなのに、よくご存知でした。
やっぱり、今大会は注目度が高かったんだなあと改めて感じました。
帰ってから、留守中の『東京中日スポーツ』紙面を確認。
いままでのワールドカップでも一番かな、というくらい、大きく扱ってもらえていたんですね。
デスクのMさんはじめ、ラグビー好きのスタッフががんばって紙面を作ってくれていたことに感謝します。
(9月13日づけ「トーチュウ」紙面、オールブラックスへのチャレンジを前に、最終面で大々的に展開してました)
このあとの後半戦、ジャパンがいなくなったのは残念だけど、僕もNZに戻って、ラグビーワールドカップの魅力をまた伝えていこうと思います。
【長岡カメラマン チベット写真展】
日本ラグビー協会のオフィシャルフォトグラファーとして、
今回のワールドカップでも精力的に撮影してきたカメラマンの長岡洋幸さんが、
ラグビーと並ぶもうひとつのライフワークとして取り組んでいる「チベット」についての写真展を開いています。
「TIBET 大地の瞬 MOMENTO」
長岡さんは、1987年から25年間にわたりチベットを撮影されています。
ちょうど、ラグビーワールドカップと同じ時間を、チベットにも費やしているわけです。
会場は「モメント汐留」(東京都港区東新橋2−3−17)
(JR・地下鉄新橋駅より徒歩6分・ゆりかもめ汐留駅より徒歩3分)
お問い合わせは 03−3432−5981 東洋海事工業株式会社
お時間のある方は、興味のある方は、どうぞ!
【総括会見】
28日は、早朝にネイピアを出発。運転を交代しながら、約430キロの道のりを突っ走ってオークランドまで戻ってきました。この4日間、ずっとのどかな田園地帯にいたので、オークランドは大都会だなあ、と改めて感じました。あれ? ファンガレイから戻ったときも同じコトを書いたような気が。
久々に戻ってきたオークランド郊外、デボンポートで、遅い昼食。
午後5時から、オークランド空港近くのホテルで、日本代表のワールドカップ総括会見が行われました。
会見には、ワールドカップ遠征団長の矢部達三専務理事、太田治GM、ジョン・カーワンHCが出席。
矢部団長は「この4年間、日本のラグビーは一歩一歩前進してきたつもりだったけれど、このワールドカップで、世界の水準はまだまだ高いということを実感しました。国民のみなさまの期待に応えられなかったことを申し訳なく思います」とファンに謝罪。
太田GMは「この4年間、チームは成長したと思う。昨日は勝つことはできなかったけれど、世界11位とドローだったということは、11位と同等の力があったということだと思う。JKにはお疲れ様と言いたい」
そしてJK。
「日本代表とともに過ごしたこの4年間はファンタスティックなジャーニーだった。日本のラグビーは、まだまだ課題があるけれど、成長する可能性はある。この場を借りて、選手にも感謝の言葉を述べたい」と挨拶しました。
1991年、僕が初めて取材でワールドカップを訪れ、ベルファストでジンバブエに勝ったときは、29歳でした。
それから30代、40代を通じて、5回のワールドカップを経験しましたが、それから一度も勝てないとは……
当たり前だけど、全然想像しなかったなあ。
今回の日本代表のパフォーマンスは、正直、心に響く場面は少なかった気がします。
日本代表というチームは期待を裏切った。この事実とは、向き合っていかないといけない。
だけど、4試合すべてに80分フル出場して、何度も何度もトライセービングタックルを決めた、チーム最年長の小野沢選手、チーム最年少のリーチ選手、この2人のパフォーマンスは320分を通じて素晴らしかった!
(トンガ戦で、トライを決めた後のリーチ選手です)
これは、目の前で目撃したものの責任として、語り継いでいきたいです。
【上を向いて歩こう】
試合が始まる30分ほど前、プレスルームで準備をしていたら、マクリーンパークに大音量で「上を向いて歩こう」が流れました。インストルメンタルかと思ったら、キュウちゃんこと坂本九さんのボーカル入りでした。
「上を向いて 歩こうよ 涙が こぼれないように」
急に涙が出そうになりました。
上を向いて歩いてくれよ。胸を張って戦ってくれよ。
スポーツの世界は結果が絶対。だけど、結果はあくまで相手があってのもの。運もある。
トンガに敗れて、公約の「2勝」が果たせなくなって、選手は落ち込んでいたけれど、一番くやしいのは選手たち自身のはず。僕も、仕事では厳しい記事を書くことになるけれど、気持ちは応援するだけ、勝って欲しい、と祈るだけでした。
(国歌吹奏に並んだとき。カナダがギュッと詰まっているのに、ジャパンの間隔は空いているのを見て、悪い予感がしました……)
試合については、あすの『東京中日スポーツ』に書きましたが、結果は23−23のドロー。4年前のフランス大会に続き2大会連続同カード引き分けでした。
23−15の日本リードから後半34分にカナダがトライを返したとき、「これで1点差か、今回はどっちみち決着がつくな」と、身が引き締まる思いに襲われたのですが、1点差に迫るコンバージョンをカナダが失敗。
これで、PGで同点という3点差が残ってしまったことに、何か運命的なものを感じてしまいました。
なぜか知らないけれど、引き分けは連続する。花園では佐賀工と茗渓学園の2大会連続ドローという出来事がありました。
「4年前は負けなかったことで喜んでいたけれど、今回は同じ引き分けでも悔しい」
大野選手の言葉です。残り6分まで8点リードしていたのですから、絶対に勝たなきゃならない試合でした。
「最後まで勝てるという自信を持って戦えたのは、小さいけれど進歩かも知れない。だけど、20年勝っていないチームが勝つのは大変なことなんだなと改めて思いました」
これで日本代表のワールドカップは終了です。
カーワンHCは「次の仕事は未定。インターナショナルの戦いの場が大好きなので、コーチをしたいとは思っているけれど、現在はどこからもオファーは来ていない。けれど、4年間日本代表を指導できたことは誇りに思う」と、退任の意向を明かしました。
太田治GMも「ナショナルチームは結果がすべて。結果が出なかった以上、当然、責任をとることになる」と話しました。
矢部専務理事は深夜の会見で「強化体制については、8強会議で検証した結果を受けて、理事会で協議する。現状では白紙」と話し、「留任もあり得るのか」という質問には「それも含めて白紙」と答えました。
矢部専務理事とJK、太田GMは、あすオークランドで改めて総括会見を行います。
あすは早朝から長距離移動がありますので、今日はここまで。
残念です。だけど、上を向いて歩こう。
【ネイピアにて】
26日は、ロトルアから3時間のドライブでネイピアへ(カメラマンのNさん運転ありがとうございました)
単調な田園風景が多かったオークランド−ロトルア間とは一転、山岳地帯を抜けるダイナミックな風景が続きました。そして、時折現れる集落も、ほんの数件、人家と牧場があるだけですぐ通過。
タウポとネイピアの間、約120キロはガソリンスタンドが皆無でした。
そして、かなり山奥でも牧場がある。
NZに来て感じるのは、「意外と」羊が多くないこと。車窓に現れる牧場にいるのは、羊と牛が半々でした。
しかし、山あいに入ったエリアで現れるのは、やっぱり羊です。
今回のワールドカップ、地上移動ではNZの原点を巡った気がします。
しかし、「日本と同じで小さい島国」と思っていたNZが、実際に動いてみると予想外に広いことを痛感しました。
旅行するなら、飛行機での移動を中心にして、時々レンタカーやバス移動を交えるのが賢いかな。
【カナダ戦】
カナダ戦の前日、ジャパンは午前中に試合会場のマクリーンパークで練習しました。
トンガ戦のあとの気持ちの切り替えについて、JKは「イージーでした。ワークハードするだけ。結果は残念だったけど、問題点を洗い出して、次へ向かうだけ。今も自信は持っています」
ちなみに、カナダの監督はオールブラックス時代のチームメート、キーラン・クローリー。
「よく部屋が一緒になったよ。いいヤツだ。彼は農家の生まれで、牛の乳を搾るために朝は6時に起きる習慣がついていて、いつもお茶を入れてくれた。僕はシティボーイだから、そんなに早起きじゃなかったけど」
試合前日の囲み取材には、ここまで3試合すべてフル出場している小野沢選手とリーチ選手が登場。
「トンガ戦の後は、何でも言える日和佐にいっぱい愚痴を言って、悶々とした気分を出し切って、リフレッシュしました」(小野沢選手)
「負けたのはショックだったけど、いつまでも気持ちがダウンしていたら良くない。難しかったけど、速攻で切り替えました」(リーチ選手)
何とか最後、選手たちに勝利を味わって欲しいです。
【アールデコの街】
26日夕方から、ホークスベイ観光局による「アールデコ文化と素晴らしい食とワインの歓迎式典」が開かれました。
ここネイピアは、NZでも有数のワインの産地。冬の冷たい南風(日本で言えば北風)が西の山々に遮られるために1年を通じて暖かいのだそうです。
ここは、1931年に大きな地震に襲われました。
津波が街を襲い、当時の人口の1%にあたる256人が亡くなったそうです。
しかし、そのときに地殻が2m隆起。それまで海(干潟)だった土地が広大な陸地になり、復興のためにNZ各地から集まった建築業などの人たちが、そのまま住み着いて、人口も増えたのだそうです。
それまでは装飾の多いビクトリア調の家が多かったけれど、地震で調度品が落ちてくるケガなどが多発。それもあって、復興に際しては当時の流行でもあったシンプルなアールデコ調の建物が多くなり、それもあって世界中から「アールデコの街」目当てに観光客が集まる街になったそうです。
地元の人たちが、地震という災害をすべてポジティブに捉えていたのが印象的でした。
もちろん、80年も前の出来事なので、ということはあります。
だけど、日本の被災地の皆さんも、ものすごく前向きでした。
通じるものがあるのだと思います。
【ロトルア】
今日はオークランドから約250キロの道のりを駆けてロトルアへ移動。
日本vsカナダの行われるネイピアへの移動にあわせ、アイルランドとロシアの試合を取材しました。
ロトルアまでの道のりは、興味深い発見がたくさんありました。
のんびりした田園風景がひたすら続くのは予想通り、イメージ通り、北海道の道東地方(十勝平野とかそのあたり)にも似た感じがするのですが、田園地帯に突如現れる防風林のスケールがすごいんです!
密生ぶり、高さ、北海道で見たものよりも巨大に聳え立っているような印象を受けました。
(クルマのガラス越しで不鮮明ですが、こんな感じに出現します)
そして、どこまでも続く田園風景に、時折黒地にシダのマークが入った看板、旗、ALL BLACKSの文字が現れる。オールブラックスは本当に、国中の期待を背負って戦っているんだなあ、オールブラックスが負けると国中が沈んで景気まで悪くなってしまうというのは、なんだかわかる気がしました。
効率でいえば飛行機がはるかに上です。そして、地面の移動には独特の面白さがある。
次にNZを訪れるときは、飛行機とレンタカーをうまく組み合わせたいな、と思いました。
あすはネイピアまで移動します。
【民家で観戦】
そしてアイルランドvsロシアの一戦。
試合が行われたのはロトルア・インターナショナルスタジアム。
ここは、スタンドの上部に民家があって、そこのバルコニーから試合が見られるのです。
大型スタジアムの2階席、3階席よりもピッチは近いかも?
何軒かある家は、すべてこのスタジアムに向かってバルコニーがあり、参加各国の旗を立てて応援していました。あっちも楽しそうだったなあ。
(かなり近そう。ホントの特等席ですね)
【オレンジの旗は…】
興味深かった出来事はもうひとつ。
アイルランドの国旗と一緒に、オレンジ地に赤い十字、真ん中に手のひらマークが入った見慣れない旗が入場してきたのです。
これはアルスター州の旗です。アイルランド島は、アイルランド共和国部分と、英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)領の北アイルランドで構成されています。
この旗が並んできたのはもしかして初めてかな?と前の写真を調べてみたら、17日にイーデンパークで行われたオーストラリア戦でも並んでいました。
いったいいつからこうなったのか……今度、ラグビー博士の小林深緑郎さんに聞いてみよかな。
アイルランドvsロシアは、スコア上は62−12とロシアの圧勝でしたが、先日のナミビア同様(?)ロシアの頑張りが印象的でした。
そのあと、ウエリントンで行われたアルゼンチンvsスコットランドをテレビ観戦。これもすごい試合でした。先日のアイルランドvsオーストラリアを抜く、今大会のベストゲームかな。
アルゼンチン、下馬評以上に強いです!
ワールドカップは3週目。2週目はセカンドティア勢の息切れが見え始めていましたが、ここにきて息を吹き返した様子。ジャパンも最後の試合で真価を証明してほしいです!
【NZ対フランス】
今日は、このワールドカップ1次リーグで一番の注目カード、NZ対フランスが行われました。
イーデンパークの周りは、キックオフの何時間も前から黒いジャージーを着こんだ人たちと、トリコロールの人たちで大賑わい。もちろんケンカを始めたりするわけではないのですが、うち解けている感じでもない。やっぱり戦う前の空気が流れていました。
(マオリ女性チームの踊りと「トライの像」もはや観光名所です!
試合前の戦いの踊り「ハカ」は、2005年に作られ「特別なときだけに披露する」とされる新バージョンの「カパオパンゴ」。始まった瞬間、イーデンパークの6万観衆が、いきなり盛り上がりました。
試合は結局、オールブラックスが37−17で勝利。
リッチー・マコウ主将のオールブラックスで初となる100キャップ目のメモリアルゲームを、宿敵フランスへのリベンジ戦勝利という最高の形で飾りました。
「これまで、このジャージーを着てオールブラックスのために戦ってきたすべての時間、1分1秒まで、すべてが僕にとって最高の思い出だ。今日も、初めてこのジャージーを着たときと同じような喜びを感じた。
ラグビーは、誰もチームメートの助けなしに試合はできない。だからオールブラック・ジャージーは、いつも僕にとって特別なんだ」
100キャップを達成したマコウ主将のコメントです。
いやあ、カッコいいなあ。
(右がマコウ主将、左がヘンリー監督です)
【サマータイム】
今夜から、NZは夏になります。
というと唐突ですが、要は、サマータイムが始まるのです。25日の午前1時59分までは従来通りなのですが、その次がいきなり3時になってしまうのです。土曜の夜が1時間短い!
夏の間、時計を1時間進めて、明るい時間を有効に使おうというサマータイムは、日本でも導入を検討しようという声が上がっていますし、反対する声も根強いです。
僕は、サマータイムと言うよりも、そもそも標準時間を1時間進めてしまえばいいんじゃないかと思っているのですが、そうなったらなったで、西日本の方、沖縄の人なんかは、冬場の朝が暗くて困っちゃうのかも知れませんね。
という話はともあれ、25日からNZはサマータイムです。
といってもNZはまだまだ寒い。北島の一番北野エリアにいてさえこうなのだから、南島ではどう感じるのでしょう?
秋分の日(つまり南半球にとっては春分の日)がやっとすぎたばかりで、NZには春の気配すらまだ来ていないのに「サマータイム」とは納得いかないのですが、僕が逆らってどうにかなるものではないので……。
というわけで、あすはいつもより1時間早く朝が来てしまうことになります。2003年のオーストラリアでもこれで面食らったけど、オーストラリアでは10月の終わりだった気がするなあ。
そういえば、イングランドの1991年、ウェールズの1999年ワールドカップは逆に、大会期間中にサマータイム終了があった気がします。夜が1時間長くなることには、違和感なかったなあ。
【リッチー・マコウ100キャップ!】
24日のNZ−フランス戦で、オールブラックスのカリスマキャプテン、リッチー・マコウが100キャップ目を迎えます。世界最多139キャップのグレーガンを筆頭に、世界では過去18人が達成していますが、次から次と若い才能が現れるNZでは初めての記録です。
「個人的なことは別にして、どのみちビッグゲームだ。ただ間違いないのは、この相手(フランス)と、この場所(イーデンパーク)で100キャップ目のテストマッチを戦えることは素晴らしい思い出になることだ」
いやあ、やっぱりカッコイイですね。
4年前のリベンジは果たせるでしょうか?
【NZ便り】
NZ航空のHPに、NZ滞在のレポートを掲載しました。
僕がこちらで滞在しているのは、オークランドのシティからフェリーで10分少々、デボンポートというエリアです。
オークランドはNZで一番の大都市ですが、デボンポートは奇跡的なくらいに穏やかな時間が流れる天国のような場所。そして、日本がトンガ戦を戦ったファンガレイ、合宿地にしたケリケリなど、ノースランドの魅力を紹介しました。
オークランドとデボンポートを結ぶフェリーより、オークランドのハーバーです
フェリーには自転車もそのまま積み込めます。
フェリーターミナルにはデボンポートにグラウンドのある名門クラブ「ノースショア」のジャージーが飾られていました。右の真ん中が「バック・シェルフォード」
↓こちらからどうぞ。
http://www.airnz.co.jp/eDM/prom/110922/
↓こちらからも入れます。
http://www.airnewzealand.jp/inside-new-zealand-2011-08
読んでいただけば「あれ?」と思われるでしょうが、このコラムには「ワールドカップ」の文字が出てきません。
実は、NZ航空はオールブラックスのオフィシャルスポンサーになっているのですが、今回のワールドカップのオフィシャルエアラインはUAEに本拠を置くエミレーツ航空。そのため、NZ航空の広告・広報活動に「ワールドカップ」の文字は一切使えないというのです。
権利に関しては、かなりシビアなのです。
しかし面白いのは、権利の抜け穴。
黒いジャージー、シダのマーク、「ラグビー」「ニュージーランド」の文字など、どこにも権利の帰属しない言葉、文字、絵柄を駆使して、「オールブラックス」「ワールドカップ」を想像させる商品がたくさん出回っています。
(↓プレスルームのドリンクコーナーにあった「ミロ」。これが大会オフィシャルのプレスルームに置いてあることがシュールです!)
【ジャパンはネイピアへ】
トンガ戦の敗戦から一夜明け、ジャパンは今大会最終戦の地、ネイピアに移動。
SH田中史朗選手は、「日本らしさを貫いて負けたのなら、たとえ負けても仕方ないところがあるけど、昨日はそれが全然なかった。最後のカナダ戦は、日本らしさを出し切って必ず勝ちたい」と決意を話してくれました。
ジャパンはファンガレイからオークランド経由でネイピアへ。ファンガレイの空港は、牧場の中の一軒家みたいな感じ。
飛行機も、約20人乗り〜約50人乗りの小型機が多いのです。
選手たちも、搭乗口からそのまま歩いて駐機している飛行機に乗り込んでいました。
【南アvsナミビア】
『トーチュウ』の原稿を書いて送った後、ノースランドを離れオークランドへ。
久々に見るオークランドは大都会でした(笑)
いったいどれだけ多くの人が住んでいるのだろう?
今夜の南アフリカ−ナミビアは、取材申請が却下されてしまったので、
オークランドの中心、クイーンズワーフに設置してある巨大ラグビーボール、巨大画面を備えた特設パブリックビューイングスペースで観戦することにしました。
ナミビア、素晴らしかったなあ。
前回王者の南アフリカを相手に、魂のこもったタックルを反復。
カウンターアタックも意欲的で、ナミビアがボールを持つと、ものすごい盛り上がり。
スタジアムでの観戦とはひと味違う、ラグビー王国の熱気を感じました。
(南ア国旗をまとったファンも、ナミビアの奮戦には熱い拍手を贈っていました)
ナミビアといえば、2003年ワールドカップのオーストラリア戦で、日本の145失点に次ぐ142失点を喫したチームですが、みごとな戦いぶりでした。
日本の試合も、こんな熱を持って見てもらえていたならいいんだけどなあ。
最終スコアは87−0。だけど、見た人にはその価値が伝わったはずです。
【日本代表、勝てず……】
トンガ戦は18−31の完敗。
ラグビー日本代表、JKジャパンの掲げていた「2勝」という目標は、残念ながら果たせずに終わりました。
(前半、リーチのトライではスタンドが湧きました)
取り急ぎ、あすのトーチュウに記事を出しましたので、ここでは内容にはあまり触れませんが、とにかく「残念」の一語につきる試合。
試合後の会見で、準備期間が長かったにもかかわらず結果を出せず、コミュニケーションも成熟していなかったことを問われ「日本の準備期間が長いというけれど、私はトンガの方が長かったと思う。だけど言い訳はしません」と、言い訳したいのかしたくないのかよくわからないコメント。世界のJKも、さすがにショックで混乱していたのでしょうか。
この4年間、JKの好みに合わなかったというだけの理由で、世界にチャレンジする機会を与えられなかった選手も、次のワールドカップには年齢的にほぼ不可能な選手もいます。
無論、トップリーグで活躍する日本人選手をあえて外し、批判を覚悟で外国人選手を大量に抜擢し、オールブラックス戦では主力を温存するという大胆な用兵まで断行し「目指すのは2勝だ。次回W杯シード権という結果がすべてだ」と言い続けてきたJKですから、出処進退は分かっているのだろうと思います。
だけど、ライフ・ゴーズ・オン。ワールドカップはまだ続きます。
次は中5日でカナダ戦。相手は中7日と休養十分ですが、最後の試合です。チカラを振り絞って戦ってもらいましょう!
総括はしなければならないけれど、まずは目の前の戦いを。20年ぶりのW杯勝利。必ず達成してもらいましょう!
まずは応援しましょう!
【ジェイに会う】
懐かしい顔を見つけました。トンガ代表のマネージャー(バゲージマスター)として同行していたのがシオネ・ラトゥさん。かつて大東大−三洋電機で活躍し、日本代表で1995年の南アW杯にも出場した、通称「ジェイ」です。
「今日の日本はスピードがなかったよね」
「CTBが出てこないよね」
「オレがジャパンにいたときはもっと速くて、いっぱい走らされたよ」
などなど、今も変わらず滑らかな日本語で話してくれました。
最後のフランス戦、どうぞ頑張って!といいたいところだけど、勝ち点と得失点差次第では、日本にも3位確保の可能性が残っているから……。
大友信彦
(おおとものぶひこ)
1962年
宮城県気仙沼市生まれ